縁庵について
初めて来たのになつかしい。
囲炉裏のある古民家でゆったりとした時間を。
エントランスをくぐると
「わ、広い、すごい、素敵」と
自然にテンションが上がる囲炉裏がある広い空間!
キッチンに足を踏み入れるとどこからかの光。
ふっと見上げると明り取りの天窓。
ミステリアスな屋根裏部屋。
縁側から眺める
お庭の四季折々の景色でリラックス。
1日1組限定で1棟貸しなので、
ご家族だけお仲間うちだけで
ゆっくりとお過ごし頂けます。
『縁庵』の誕生
中国人の私は、主人と縁が有って日本に来て23年なりますが、通訳の仕事をしながらずっと語学教室開設の夢を追いかけてきました。いつかは自分の「教室を開きたい」と思い続け、2019年ようやく古民家(空き家)を見つけ、長年の夢をかなえるため思い切って購入しました。(2011年に亡くなった義母もこの家を気に入り、予算が有れば夢を買って上げたいなと言ってくれていました。義母とは12年しか暮らせませんでしたが、私に春を運んでくれた人です。)
この家は、元の持ち主の息子さんが母親の為に1974年に建てられた茅葺きの囲炉裏がある風流な家です。空家の期間は約20年でしたが、囲炉裏に惚れてリフォームを決意しました。
家には、部屋が5部屋あって、語学教室としてはもちろん、ゲストハウスとしても最適な家です。特に日本文化が好きな外国人の気持ちを満たすのにふさわしい純和風の家です。
インバウンドの仕事も軌道にのり、探していた家も見つかり、いよいよ計画を実行しようとした矢先に、新型コロナウイルスが発生しました。この影響で、予定されていた湯梨浜町国際グラウンドゴルフ大会は中止され、通訳の仕事も減少しました。そのため、私のリフォーム計画は思い通りに進まず、その上境界線やら水道等の問題もあって、心が折れ、悩んだ時期がありました。
しかし、私はそんなことでは諦めきれませんでした。
2021年1月、私はリフォームに着工しました。色んな困難を乗り越えようやく4月26日にオープンする事が出来ました。コロナ禍の大変な時代に難産で生まれたゲストハウス『縁庵』の誕生です。
この家は、元の持ち主の息子さんが母親の為に1974年に建てられた茅葺きの囲炉裏がある風流な家です。空家の期間は約20年でしたが、囲炉裏に惚れてリフォームを決意しました。
家には、部屋が5部屋あって、語学教室としてはもちろん、ゲストハウスとしても最適な家です。特に日本文化が好きな外国人の気持ちを満たすのにふさわしい純和風の家です。
インバウンドの仕事も軌道にのり、探していた家も見つかり、いよいよ計画を実行しようとした矢先に、新型コロナウイルスが発生しました。この影響で、予定されていた湯梨浜町国際グラウンドゴルフ大会は中止され、通訳の仕事も減少しました。そのため、私のリフォーム計画は思い通りに進まず、その上境界線やら水道等の問題もあって、心が折れ、悩んだ時期がありました。
しかし、私はそんなことでは諦めきれませんでした。
2021年1月、私はリフォームに着工しました。色んな困難を乗り越えようやく4月26日にオープンする事が出来ました。コロナ禍の大変な時代に難産で生まれたゲストハウス『縁庵』の誕生です。
女将の想い
高齢化が進み、空き家が多い、さびれる一方の田舎町、そんな小さい鳥取県湯梨浜町田後で
古民家を改造し、誰からも愛され、誰からも親しまれる『憩いの場』『ふれあいの場』『国際交流の場』を皆様に提供し、地域に活気と潤いを取り戻したい!
最近鳥取県を訪れる外国人は益々増えています。その外国の人々は、単なる観光旅行だけでなく、スポーツ、農業体験、国際会議等色々な目的で来られます。また以前は、団体旅行が主流でしたが、今は、個人で旅行する人や、日本の原風景を味わいたいと思う人達が増えて来ています。そこで欠かせないのが宿泊です。
湯梨浜町には、「鶴の湖」と呼ばれる幻想的な東郷池があり、底から湧き出る東郷温泉・ハワイ温泉もがあります。
私は、今までインバウンド通訳の中で「湯梨浜町が好きになり、また来たい」「景色も空気もキレイ、温泉も有るし、ゆっくりしたいな」と言った声をたくさん聴いてきました。だから湯梨浜町にはゲストハウスが必要だと思いました。
私のゲストハウス『縁庵』の名前の由来。
私は主人とのご縁があって日本に来ました。その縁が色々な人々とのご縁を広げてくれ、湯梨浜町とのご縁も頂きました。これらのご縁は私の宝物です。ですからこれらのご縁をこの庵に託したいと思い、『縁庵』と名付けました。
これからは、お客様とのご縁も大事にしながら、お客様にとって役に立つ情報を提供し、数字では計れない価値がある宿を作りたいと心から思っています。
古民家を改造し、誰からも愛され、誰からも親しまれる『憩いの場』『ふれあいの場』『国際交流の場』を皆様に提供し、地域に活気と潤いを取り戻したい!
最近鳥取県を訪れる外国人は益々増えています。その外国の人々は、単なる観光旅行だけでなく、スポーツ、農業体験、国際会議等色々な目的で来られます。また以前は、団体旅行が主流でしたが、今は、個人で旅行する人や、日本の原風景を味わいたいと思う人達が増えて来ています。そこで欠かせないのが宿泊です。
湯梨浜町には、「鶴の湖」と呼ばれる幻想的な東郷池があり、底から湧き出る東郷温泉・ハワイ温泉もがあります。
私は、今までインバウンド通訳の中で「湯梨浜町が好きになり、また来たい」「景色も空気もキレイ、温泉も有るし、ゆっくりしたいな」と言った声をたくさん聴いてきました。だから湯梨浜町にはゲストハウスが必要だと思いました。
私のゲストハウス『縁庵』の名前の由来。
私は主人とのご縁があって日本に来ました。その縁が色々な人々とのご縁を広げてくれ、湯梨浜町とのご縁も頂きました。これらのご縁は私の宝物です。ですからこれらのご縁をこの庵に託したいと思い、『縁庵』と名付けました。
これからは、お客様とのご縁も大事にしながら、お客様にとって役に立つ情報を提供し、数字では計れない価値がある宿を作りたいと心から思っています。
『縁庵』のある地域
縁庵の場所は鳥取県湯梨浜町田後にありますが、田後の地名は、羽合平野に展開する水田地帯の西果て、つまり田尻に由来すると伝えられています。また田後は天神川の右岸に位置し、南に接する清谷村(現倉吉市)の出村として、開発されたと言われています。
その田後には由緒あるものが二つあります。それは「田後笠」と「宮の飯」です。
●田後笠
田後名物として菅笠があり、江戸時代から昭和40年頃まで貴重な現金収入の得られる産業として多くの家庭で夜を徹して菅笠が作られた。明治5年(1872年)には当地方から約8万枚が出荷されたと言われる。同30年田後製笠合資会社が設立され、第二次世界大戦前にも2万~3万枚を生産していた。(考文献:日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名 出版社平凡社)
●宮の飯
昭和61年4月8日に「鳥取県指定無形民俗文化財」として指定された。宝徳2年(1450)出雲国八重垣神社(現在島根県松江市)の分霊を大ボン(現在北栄町江北)という所に勧請したのに始まり、その後当地に移されたという。新穀を供え、豊作を祈願する「宮の飯」という神事が行われる。頭祭は、その年の新穀を神に献上し、新甞を行うとともに、来る年の豊作をも祈願する祭礼で、区民の間では「宮の飯」「しんじょう祭」等と呼ばれている。祭日は旧暦11月1日で前日10月晦日には、頭人は5人で前日に海岸で身を清める「つごもり」が行われ、祭礼当日は午前3時に起床して五升五合の玄米に塩・大豆・大根などを混ぜた「ごくう(御供)」とよばれる「宮の飯」をつくり神前に供え参拝者に配られる。「ごくう」は無病息災に効があるという。(湯梨浜教育委員会)
その田後には由緒あるものが二つあります。それは「田後笠」と「宮の飯」です。
●田後笠
田後名物として菅笠があり、江戸時代から昭和40年頃まで貴重な現金収入の得られる産業として多くの家庭で夜を徹して菅笠が作られた。明治5年(1872年)には当地方から約8万枚が出荷されたと言われる。同30年田後製笠合資会社が設立され、第二次世界大戦前にも2万~3万枚を生産していた。(考文献:日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名 出版社平凡社)
●宮の飯
昭和61年4月8日に「鳥取県指定無形民俗文化財」として指定された。宝徳2年(1450)出雲国八重垣神社(現在島根県松江市)の分霊を大ボン(現在北栄町江北)という所に勧請したのに始まり、その後当地に移されたという。新穀を供え、豊作を祈願する「宮の飯」という神事が行われる。頭祭は、その年の新穀を神に献上し、新甞を行うとともに、来る年の豊作をも祈願する祭礼で、区民の間では「宮の飯」「しんじょう祭」等と呼ばれている。祭日は旧暦11月1日で前日10月晦日には、頭人は5人で前日に海岸で身を清める「つごもり」が行われ、祭礼当日は午前3時に起床して五升五合の玄米に塩・大豆・大根などを混ぜた「ごくう(御供)」とよばれる「宮の飯」をつくり神前に供え参拝者に配られる。「ごくう」は無病息災に効があるという。(湯梨浜教育委員会)